生成発展
「100年先まで日本酒を残すために、酒造り職人を育成する仕組みをつくりたい」。明治時代から続く岩手県二戸市の酒蔵「南部美人」の5代目蔵元、久慈浩介さん(47)はそう語る。そのためにいま取り組んでいるのが、日本酒業界で初となるAI(人工知能)を活用して職人技術を継承するプロジェクトである。アイデアを持ちかけたのは、東京のITベンチャー「ima(アイマ)」。自らの酒蔵で始めた実証実験で見えてきたものとは––
「今回の仕込みの吸水率は、添え麹(こうじ)131%、仲(なか)130%、留(とめ)129%でいきたいんだけど、どう?」
「ハイ、今年は2010年の傾向と似ているので、留は130%にしたほうがよろしいのでは」
「あ、そうか。データ見せて。あー、本当だ。そういえば、あの年はそうだった」
「ハイ、今日の気温は昨日に比べて3度高いです。その場合、水温は0.5度上昇します。そのため、130%の吸水時間は9分を8分45秒にしてください」
遠くない将来、日本酒造りの現場では、職人とAIがこんなやりとりをしながら、作業を進めているかもしれない。
―― 職人技の継承に危機感
久慈さんが取り組んでいるのは、酒蔵の職人たちの判断を支援するAIの開発だ。
酒造りの多くの工程は、いまも職人芸に支えられている。その中心的役割を果たしているのが、酒蔵の職人たちを束ね、酒造りの工程を監督する責任者である「杜氏(とうじ)」。一つひとつの工程は、彼らの感覚や経験、そして勘によって判断される。いわば、その“無形の知”が日本酒文化を担っているのである。
岩手県は、兵庫県の「丹波杜氏」、新潟県の「越後杜氏」と並ぶ日本三大杜氏の一つ、「南部杜氏」の発祥地として知られる。その“日本酒の地”にある南部美人は、国内外の鑑評会やコンテストで数々の賞を受賞するなど、世界的に評価が高い酒蔵だ。
そんな有力酒蔵でも、技術の継承問題とは無縁ではない。職人たちの技術を、いかにして次の世代につないでいくか――。それは、日本酒業界全体が抱える問題でもある。「この5年で業界を取り巻く環境がガラリと変わった。それを肌で感じてきました。それで私は危機感を持っていたのです」と久慈さんは語る。
少子高齢化が進み、さまざまな業種で人材不足が指摘されるなか、例に漏れず、日本酒業界でも若い人材の確保が難しくなり、職人の高齢化が深刻化している。昨年2月には、南部美人と同じく明治時代に創業し、140年の歴史がある東京・赤羽の酒蔵「小山酒造」が清酒製造から撤退、事実上廃業した。人手不足で職人の確保が難しくなったことが一因とされる。
「この一件は衝撃でした。うちは早くから職人を育てていて、いま現在は安泰ですが、じゃあ20~30年先までやれるかというと別の話。職人の技を継承していかないといけません。職人をつくるのは、ものすごい時間と労力がかかります。それをずっとやり続けないといけない。だけど、育てるにしても人がいない。育てるための“原資”がないのです」
この状況をなんとかしないといけない――。そんなことを考えていたときに、ITで日本の伝統技術の継承を支援する東京のベンチャー企業「ima(アイマ)」から「AI導入実験」の話が持ち掛けられたという。
―― 画像処理技術で「視覚」をデータ化
久慈さんがAIに期待するのは、日本酒そのものを自動的に造る仕組みではなく、職人の技術をディープラーニング(深層学習)によって蓄積することだ。
「そもそも僕自身は、現段階のAI技術で酒を造ることはできないと思っています」と久慈さんは言い切る。
「なぜならば、酒造りで使う人間の五感は、ほとんどが舌と鼻、つまり味覚と嗅覚(きゅうかく)です。ところが、いまこの時代で、職人の研ぎ澄まされた味覚と嗅覚をデジタルデータに変換できるセンサーはないんですよ。まだ、ぜんぜん人の感覚に追いついていない」
そこで目をつけたのが、「視覚」のデータ化だった。すでに実用化されている高度な画像処理技術を使って、職人の作業を大量の画像データとして読み込めば、AI開発ができるのではないか。
酒造りの工程のなかで、人の「目」を使う部分。それが、酒米を蒸す前に水に浸す「浸漬(しんせき)」と呼ばれる作業だった。
「酒造りで唯一、鼻も舌も使わず、目だけを使う工程です。どんな酒蔵でも必ず通る工程で、たった1%の吸水率の違いで酒の仕上がりが大きく変わる。日本酒造りの基本となる、ものすごく重要な作業なんです」
―― 一発勝負の「浸漬」作業
酒造りは、玄米から「精米」→「洗米」→「浸漬」→「蒸米」という手順を踏んで仕込みに入る。「浸漬」は、精米した酒米を洗った後、「蒸米」の前に水に浸す作業で、その時間の長さによって酒米に水が含まれる割合=吸水率が変わる。発酵などに影響する酒米の溶解性や、麹菌の繁殖度にかかわる重要な工程だ。
吸水率は「パーセント(%)」で表す。たとえば10キロのお米に水を吸わせて、引き上げて水を切ったときの重さが13キロになっていれば「130%」。大吟醸を造るときに使う精米歩合35%(精米するときに65%を削り、中心部の35%を使う)の酒米ならば、吸水率130%に必要な吸水時間は、水の温度にもよるが、7~9分程度。そこでは、「10秒で吸水率が1%上がる」(久慈さん)というシビアな時間調整が求められる。
これまでは、その微妙な判断を杜氏の職人芸が担っていた。酒米の種類、精米歩合、水温、さらにはその年のコメの質、その日の気候条件などによって最適な吸水率は変わり、そのために必要な吸水時間も変化する。しかも、この作業は一度、水から引き上げてしまったら、やり直すことができない一発勝負。駆け出しの杜氏が、最適な判断をできるようになるまで10年程度かかる、という難しい作業である。
「いまの杜氏は、だいたいの時間をストップウォッチで計りながら、最終的に目で見て、酒米を水から引き上げるタイミングを判断していますが、かつての熟練の杜氏は時計を使わず、お米が水を吸っている様子を見て、『あいっ!』と言って引き上げていました。彼らに聞くと、お米の一粒一粒を見ているわけじゃなくて、“俯瞰(ふかん)で見る”というんですね。全体が透明から白っぽくなってくる。その白くなる最適な割合を感覚で持っているのです」(久慈さん)
その最適なタイミングをAIによって判断することが可能になれば、職人をサポートすることができるし、職人が学ぶこともできる。そして、それによって効率的に職人の技術を継承することができるはずだ、と久慈さんは考えている。
―― 「匠」の技を先端技術で再生
南部美人のAI実験は、imaが計画、主導して進められているプロジェクトだ。imaが目指すのは、日本の伝統工芸、伝統産業の「匠(たくみ)」たちの技術を、現代のITやAIの最先端技術を使って再び社会で活性化させること。
その取り組みの一つが、「日本酒」である。スパークリング日本酒を「awa酒」と名づけ、世界市場に通用するブランドとして浸透させるため、2016年に全国の酒蔵を集めて一般社団法人「awa酒協会」を立ち上げた。imaがその事務局を担い、理事として参加したのが南部美人の久慈さんだった。